クセになる、コスギケインな走り系サイト(笑)
クロールしてもスクロールしても執拗に現れる(笑)、文字とたくさんの写真。
山岳レースのリサーチでえくんちょさんのホームページに出会って、スクロール無しのマウスに
嫌気がさして買い換えた人も多いのでは?

サイト名の由来は?


名前の由来は「マラソン」「パラダイス」「大好き」「パラダイス記」をという言葉をミックスしたものです!


HPをつくったきっかけは何ですか?
2003年の春、走り始めて1年半が経過していました。すでに数回マラソン大会にも出場していて「走る楽しさ」を実感していて、

その春の大会会場で
偶然目にしたパンフレットが「北丹沢12時間山岳耐久レース」のパンフレットでした。

しかしその頃、まだパソコンを持っていなかったので、申し込みのパンフレットに書いてある情報くらいしかなく、
北丹沢に初挑戦する前月は200qの「ロード」を走りこんで北丹沢を迎えました。

しかし、スタートすると、いきなりもの凄い山道の登りのコースの連続で、
しかも登山の経験が無かった私はそのコースに
大変衝撃を受けたのです。

必死になって前の選手に食らいついていきました。

その年の北丹沢は前日からの大雨でコースコンディションが最悪で、ドロドロヨレヨレになりながらも、
コースマップには中間部にロードの下りがある事を知っていたので、

「絶対にマラソン(走る事)が出来る」そして「
絶対にゴールする事が出来る」と信じていました。

しかし中間部に辿り着いた時点で、「走れるはずだったロードの部分」が土砂崩れの為にさらなる極悪路の激しい登りに変更さられていて、

必死に迂回してロードに復帰した時には、すでに次の関門に間に合うのが
不可能な時刻になっていて、一気に魂が抜けてしまいました。

閉鎖時刻は13時。残り7q、時計は12時35分をさしていました。

関門に間に合うには私の走力では
15分ほど足りませんでした。先月までのトレーニングや、
この日ヘトヘトになって、ここまで必死に辿り着いた自分の努力が
水の泡になった気がしました。

人生で初めて時間切れでリタイアさせられて会場に戻った時に、
同じようにドロドロになりながらも既にゴールしている選手の姿を見て非常に驚きました。

「あんな凄いコースとコンディションだったのにもうゴール出来るの・・・?」

満面の笑みを浮かべ仲間と談笑する男性ランナーの姿を横目でみながら、

自分は確かに参加していたのに「完走証」を手にできなかった事が非常に情けなくなりました。

もしも私に山を「登る」という力があったなら・・・。もっと山登りの事を知りたい!

そんなリタイアの経験から2004年の春からは少しずつ「山」へ登りに行くようになりました。
その頃、初めてパソコンを購入し、インターネットで色々と情報を集める事も出来るようになりました。

他の方の大会参加記などを参考にしたり、マラソン関連の掲示板などに書き込みを行って情報交換などを始めたのはこの頃からです。

そして迎えた2004年の北丹沢では
念願の初完走を果たしたのですが
何と「
ビリ」になってしまいました(笑)
でも
制限時間12時間を目一杯使って完走できた事がすごく嬉しかったです。

レースから1週間は、レース前から痛めていた
肉離れが悪化して、さらに激しい筋肉痛で立ち上がる事も精一杯の状態でした。

そして2週間ほど経ってようやく「この
貴重な体験(笑)」をまとめてみようかな、と思い立ってパソコンに向かって文章にまとめる日々が続きました。
2003年のリタイアでやめていたら山岳レースなんて二度と縁がなかったかもしれません。そして次の年で完走できたけれど
ビリだった」という体験がHPを作るきっかけになりました(笑)幻の2004北丹沢自作ハイドレーション(爆)
HPを作ってよかったこと
中学の頃から面白い事を考えるのが大好きだったけど、少し人見知りな性格いして無口な人(=暗い?)というイメージを与えてしまうのか、
第一印象で
誤解される事多く、自分の思いをなかなか理解してくれる人はいませんでした。

なので、自分の趣味や大会中に感じた「思い」などを
素直に表現したものを、楽しい・面白いと共感してくれて、
「いつも
しく見てますよ!」と声をかけてもらえたり、大人になってから心から分かり合える友達が出来た事に感動です!

(鏑)パラダイス企画に対する思い入れは?

2003年に北丹沢でリタイアした時に優勝されたのが地元の「鏑木毅」さんという人物で、このレースに参加していなければ
私はその後はロードの大会しか出ていなかったかもしれず、一生「鏑木さん」を知らないで終っていたかもです。

しかし「あんな凄いレースで優勝した人って
どんな人だろう?」という疑問から始まり、半年後の2004年早々には手紙を出して、

直接本人とお会いする事ができて、その時に「山にトレーニングは行かないの?赤城山とか近くにあるけど!」と言われ
その年の春から山に少しづつトレーニングに行くようになりました。

そしてその年の北丹沢に初完走できHPを始めたのですが、しばらくは同じ大会に参加しててもお会いする機会はなく、

自分のHPで少し話題にしたり、「本を出版しますから宣伝して下さい!」などの
業務用のメール(笑)を頂く位だったのですが、

2006年の富士登山競走で、私は初めて自分が参加者ではなく「応援」する為だけに富士山に真夜中から登って
登頂して、
ゴールを果たした鏑木さんから私に声を掛けてくれて「もっと記事で
面白くイジって下さいよ!」と言ってくれたのです(笑)

HPのタイトルから「パラダイス企画」という言葉が生まれたのですが、2007年の初春に某HPデザイナーの方に
HPのデザインを変更したほうがいいとアドバイスをして頂き、徐々に仲間が集まってきてくれるにつれて、

楽しい事を創造する会社」のようなものを常にイメージできるようになったので思い切って鰍フ代わりに(鏑)と勝手に一文字使わせて頂きました(笑)

 K様はHP登場も公認済みの仲?(一応 爆)

レースレポートのこだわり。

大会に参加して自分の思った事や思いついた事を誰もが楽しい気分になれるような「ネタ」に仕上げています。

最近では出会った人の素晴らしさや、その方の魅力や親しみやすさが最大限に現れるように、ネタを追加したりして編集を加えたりしています。

「あの時こうすればよかった。」という後悔はしたくないので、何事にも自分の思ったとおりに突き進んでいきたいと常に思っています。

「しなきゃよかった」という後悔よりも、
怯んでしまい自分のやりたい表現ができなかった事の方が悔いが残るからです。

会場への道中から始まるレポートは、

周囲の雰囲気、気持ちのagesage(笑)、レースの展開など、実に細かく描写されている。

それはまるで深夜のファミレスで向かい合って
延々と話を聞かされてるかのYO!(爆)臨場感たっぷりだ。
トレイルランの楽しさはどんなところですか?
・伝道師  

私が北丹沢でビリになった時、とある掲示板に「北丹沢でビリでした(笑)」と書き込んだ時に一番親身になって話を聞いてくれたのです。
そこで記憶が薄れないうちに詳しく書き込みした大会の内容は、HPの文章を作っていくのにすごく参考になりました。

    
・北リタ記者

私が北丹沢を初完走した時に、北リタ記者はリタイアをしているのですが、私とコース上ですれ違っていたらしく、
私の姿(格好や長い三つ編み)に驚き印象に残ったようです。そしてしばらくしてネットで「北丹沢」の検索をしていて
鏑木さんと一緒に写っている写真を見つけて驚愕(笑) そこでHPにコメントを寄せてくれたのが最初です。

それからは大会や自主トレーニングでの
エピソード満載の文章を書いて送ってくれるようになり、私はその文を元にして
記事に仕上げて掲載していきました。実際にお会いしたのは次の年の北丹沢で、私よりも数十分先に完走してゴールで待っていてくれました。



・クロワッサン・チョココロネ

安政遠足侍マラソンという仮装がメインのマラソン大会で、私がウェディングドレスで走った後、とある掲示板に私の後姿の写真が掲載されていて
「とても走りにくそうな格好なのに!」とコメント付きで紹介されていました。そこに私が「それは私です!」と書き込みしたのが最初で、

ちょうど
北丹沢リベンジに燃えている時でしたので、北丹沢に向けての意気込みなどをやりとりしていました。そこから偶然同じ大会に出ていたりして
親しくして頂き、翌年一緒に参加していた安政遠足のHPが大会関係者の目に留まり、2006年の安政遠足では三人で選手宣誓をしました。


・白顔

2006年の1月からブログを書くようになったのですが、そこにコメントをくれたのが最初で、
その年の北丹沢ではお会いできなかったものの、3ヵ月後のハセツネで初めてお会いできました。

私の父が病気で入院した時や、ブログで元気の無い日記を書いた時などは
励ましのメールを何度も頂き、今では白顔さんの奥様(キャプテン)とも仲良くさせてもらっています。

・くんちん

2006年のハセツネの最中に「私、2006年の北丹沢でビリだったんです!」と声を掛けてくれたのが最初で、
同じ境遇を味わった人物に会えるなんて!と凄く感激しました(笑)
しばらくしてからメールのやりとりが始まり、くんちんが2007年の3月に参加した大会参加記を見せてもらった時に
文章から溢れ出す凄い気迫と思いに心を打たれて即刻入社してもらいました(笑)

箱根の大会で再会したのですが、
爽やかな笑顔と元気いっぱいに山に突き進んでいく姿がとても素敵です。 
(鏑)パラダイス企画の社員になるには?
まず、(鏑)パラダイス企画に参加するには、どんな場面においても恐れず怯まずに自分自身を表現できる事

一番大事なのは、どんなレースにおいても自ら楽しみを創造して
とことんハシャギつくしてしまおうという自由な心
大会で元気に楽しめる体力をつける為に
普段のトレーニングの積み重ねが大事です。

メインページに記事を書いてもらう「社員」になるには、
熱い思いを素直に文章で表現できる事が大事で、読んでいて、

「少し編集を加えればさらに面白くなる」と可能性を感じる事が出来る文章だと私が思った方に採用通知を勝手に送りつけます(笑)
単なるレース参加記ではない、
何度も読みたくなるような楽しい記事になるように編集しています!

一緒にレースに出たり、走るようになって変わったこと。

やはりレース前に仲間で集まって、前夜祭やレース計画を話し合うと1人で参加してた頃とは全然違う充実感や楽しさがあります!
レース中にもすれ違ったりして仲間が先に行けばゴールで会えると思うとワクワクするし、
同じコース上を今どこかで
仲間も戦っていると思うと何よりも心強いです!

レース中の印象に残るエピソードは?

2007年の北丹沢で声を掛けてくれた方の腕には、私の前年の北丹沢のページから書き出した私の通過タイムが書いてあって、私も腕に同じように
自分の前年の通過タイムを書き出したものを手首につけていたので「私も
自分のページ見て書いてきたんです!」って言いました(笑)

私のタイムを本番のレースで参考にしていただいてるのを見て
嬉しかったです!
塩ちゃんこ鍋(笑)

ファッションのこだわり。

大会でかぶっている帽子は普通の洋服屋さんで売っている帽子です。帽子は10個以上は持っていて
普段もずっとかぶっているほど帽子が大好きで、帽子を取るのは入浴の時と寝る時くらいです(笑)

本格的な山岳レースに参加するにあたり、初めて機能性タイツを買ったのですが全然
似合いませんでした(笑)

似合うとか、そんな事を気にしている場合じゃないのですが、どうしても
自分に合わないような格好をして大会に参加したくないので
デニムのスカートを合わせてみました。今では数種類、所持しています(笑)

ランニング用のスカートも各社から出てはいるのですが、
丈が少し短いのと生地自体が薄く、スタイル抜群ならいいのですが
私はそうじゃないので(笑)、スカートがもし履きたくなったら普通の洋服のスカートを履いて出ると思います
(←無事実行しますた 笑)

私はスポーツショップで売っている機能性抜群のウエアよりは、普通の洋服屋さんで見かける「
可愛いと思ったモノ」を着たいのです(笑)

そして山岳耐久レースと並行して仮装マラソンもやってるので、
どんな服でも走れるように普段から月に2〜300qは走りこんでトレーニングしています。

髪は中学生の頃からずっと長くしています。一時期、短く切ってしまった事もあったのですが、やはり長い髪が好きなので伸ばしています。
以前は巨大なポニーテールで走ってた事もあるのですが背中との摩擦で絡んでしまうので今は三つ編みばかりしています。

ただしザックの肩ひも部分に三つ編み引っかかって、途中で髪が少しづつ切れてしまうので年々髪の量は少なくなってきました(笑)

マヨコーンピザ(笑)
走り始めたのはいつ頃から?
2001年8月27日です。すでに6年走っています!ダイエットしたい!っていうのもあったのですが、

??(夜中の3時20分ですよ。 爆)

一番は「
自分の為に時間を使うという贅沢を味わってみたい」と思ったのが走り始めたきっかけです。
その前にやっていたスポーツは?
昔は走る事なんて興味が無かったので陸上などは当然やった事がなく、中学生の時は吹奏楽部でした(笑)

でも高校3年の頃からスキーをやっていました。ただ、どうも上達しないので長い板は2シーズンでやめて、長さが1m以下のファンスキーを、
まだほとんどの人が乗ってない頃からやっていて、一時結構
短い板のブームがあったのですが、残念ながら数年でブームは終ってしまい(爆)、

だけど今でもファンスキーをやっています!マラソン歴よりも
スキー歴のほうが全然長いのです。
コース図を眺めたり、ポイントごとの距離や高低差などの表を見て、事前に綿密に目標タイムを設定したり、
自分に必要な食料や水や装備を決定する過程はとてもワクワクして楽しいです。

ロードと違って浮石やガレ場などの悪路があったり、キツい登り坂や激下りなど苦しい場面もたくさんあるのですが、

深い山の中は「自分の足でしか辿り着けない場所」だったりするので、大会中も木々の間から美しい遠くの山々や遥か下方に見える街並み、
風が木々の葉を揺ら音、鳥のさえずり、夕景、夜景、星空、朝焼け・・・
澄み渡った青空や眩しい太陽が差し込むトレイルは日常の生活とは掛け離れた空間です。

そして時には近くにいるランナーとしばらく話をしながら進んだり、すれ違う時に声を掛け合い励ましあえたり、
自分自身の心と対話して時には葛藤したり、
がこぼれてきたり・・・。とても辛くて大変だったけどゴールに辿り着けた時
想像以上の感動が全身を包み込んでくれて、一緒に参加した仲間などが待っていてくれて
喜びも苦しみ分かち合う事ができるところです!
食べ足らないご様子?(笑)
Voice of (鏑)パラダイス企画
伝道師

『伝道師』の名前の事ですが湘南さんが名付け親です(笑)あの頃は宗教ネタで湘南さんが『広報デ部長』だったと思います!
レース中に「伝道師さんですか?」と声を掛けられるようになり「いいえ違います!」と
ホラを吹くようになりますた(爆)
クロワッサンとチョココロネ

・クロワッサン

無難な答えを言うと、ホームページでネタにしてもらっているので、いろんなところで見知らぬ人から
声をかけられるようになりました!「クロワッサン
さんですよね?」っていう不可思議な声のかけられ方ですが(笑)

正直な答えは、いつまでたっても相変わらず人見知りして、自分から積極的に 話をしたりする事のないえくんちょさんなのに、
いつも貴女の周りにはいろんな人がきて楽しそうに話をしています。
それを遠くから見ながら “僕はそのえくんちょさんの友達だもーん”と心の中で優越感にひたるのが楽しいです(爆)


・チョココロネ

安政遠足やその他の大会で「チョココロネさんですかー!」と声を掛けられ「いいえ違います!」とホルンを吹くようになりますた(爆)
北リタ記者:最初のハンドルネーム「北丹沢リタイア君」(爆)

人は1人でも生きて行けるかも知れない。でも仲間がいたほうが人生は楽しくなる。
そんな事をえくんちょさんとの出会いで学んだし多くのランナーにも顔を知ってもらえた。

2007年の北丹沢でもレース中の選手から「北リタさんですか」と10人以上の人から声を掛けられた。
握手を求めてくる選手もいた。芸能人になったような気分で嬉しかった(爆)

友達が沢山増え、今では出会いの輪が広まり10人以上の仲間ができました。
皆で情報交換をして刺激しあう事で、1人では耐えられない事も
仲間がいることで頑張れます

今もこうやってマラソン大会やトレイル・レースに出続ける事ができるのも
えくんちょさんとの出会いがあったからだと思う。これからも、この出会いを大切にしていきたいと思います!
白顔(霊魂 笑)

私がえくんちょさんに出会ったのは、マラソンのサイトをネットサーフィンしてた時!

でもよく中身は読まず(
モトヤチョップ 笑) 、暇な時にもう一度見て驚きまくりました。

なぜ鏑木さんと!? 北丹沢完走!?!? こんな装備で????すげー!会ってみて〜〜 と思っていたら
えくんちょさんのブログがはじまったのです!でもコメント入れようと思ったら「許可が必要!?」
やっぱりな。。。やっぱり有名人なんだ。。。。ダメもとでコメント入れたれ!そんでコメントを入れました。そしたら・・・

丁寧で優しくで面白くて温かい返信が返ってきたのです。その時は芸能人にコメントもらった勢いで喜んだのでした(嘘でない!ウッソでないよ〜 笑)

アホなメールや投稿などたくさんしましたが、すべて丁寧な返事を頂き嬉しかったです!
そしてついに2006年のハセツネにて初顔合わせとなるのでした。

がっ(笑)、何とHPの印象とは全然違う超〜もの静か〜(爆) 第一印象はメーテルかな?でも温かいオーラがあふれてたなあ。。。

そしてハセツネ以来、 北リタさんの お仲間にも入れて頂きました!色んな相談したし、いろんなお話も聞きました。
えくんちょさんはたまにブログでココロの調子が悪そうな時もあるのだけど、とても誠実で精神的に強い方だと思っています!

次にお会いできたのは「アレ」!雨の中 あの人ごみの中。えくんちょさんに会えました。
「あの姿」でみんなに笑顔と声援振りまいて○時間!私にはできない(いや
格好でなくて 笑)

速く走る楽しみ 苦しさもあるが ゆっくり走る楽しみもある。つまり同じ分野で同じ世界で「自分の思った通り生きていいじゃないか!」という
メッセージにも受け取れました。 私は今、そんな強さを見て 敬意をもってえくんちょさんを社長と呼ばせていただいています。

その大会では私の妻キャプテンとも仲良くさせて頂きました。2007年夏の「あの時」にもほんとに心のこもったメッセージを頂きました。
「その時」は妻の笑顔と社長のメッセージに涙しました。オウチにも遊びに来てくれました。楽しかった〜!

その時の社長は「とにかく今は楽しむんだ〜!」というオーラいっぱいでした。「なんでもしっかりやりきる!」 簡単そうでなかなか出来ない事を
やってのけてしまうなんて私はできません。 でも 私も社長の笑顔付きの頑張りを見習って
すべてにおいて楽しもうとしています

そんなえくんちょさんたちの社員になれ仲間になれて、これからまた一緒に走れたりできる事を嬉しく思い、微力ながら支えていこうと思います。
くんちん

私は2006年の北丹沢でになってしまい しばらくして、ある方から「2年前に同じくビリになった人のHPがあるよ」と教えていただき、
それで初めてえくんちょさんの存在を知って、トレイルランの世界に一気に引きこまれました。

ぶっちゃけ「ビリ」になった直後は恥ずかしかったけれど、 えくんちょさんのHP見た瞬間から
「北丹沢ビリ!」って
誇らしい事になりました(笑)えくんちょさんと一緒で嬉しいなぁって。

トレイルで巻き起こるいろんな事を
ネタにしていじりまくって楽しみながら走っちゃってる!通常の走りの大会とは全然違うものを感じました!
まるで
冒険のような気分で山を越え峠を越えて行く。そういった楽しさをえくんちょさんのネタで感じました。

おかげでトレで山に入るだけでも、ミミズみたり
重機みたりするだけで面白い(笑) えくんちょさんのページ知らなかったら
こんなにトレイルランを楽しめなかっただろうし、ハセツネにも出なかったと思います。

そして2006年のハセツネ! 実はスタートの1時間前に体育館付近でえくんちょさんとすれ違ったのですが勇気がなくて声を掛けられませんでした。

でもレース中に再び発見した時に何度も何度もチラチラ見ました。「どうしても
声掛けなきゃ後悔する!」という気がして声を掛けたんです!

私にとっては有名人なので、素っ気無いかなって思っていたのに えくんちょさんはとても謙虚な対応をして下さって
「この人感じイイ」って思ってかなり好感持ちました。会話ができた事が自体が嬉しくて、それが力になりました。
えくんちょさんと会話できるだけで嬉しいって人いっぱいいますよね!きっとあたしと同じように力になっていると思います。

しかも
入社できて一気にモチベーションアップですよ!!箱根では白顔さんにも会える〜と思ってウキウキで練習できました。
皆に会えると思うとどれだけでもつらい練習ができたんです。ハセツネ以来ぶりにえくんちょさんに会えて本当に嬉しかったです。

北丹沢でも皆に会えると思ったらいっぱい練習できました。レースでも「あおちゃん」とか「リキ」さんとか他にもいっぱい声かけてくれました。
みんな頑張ってます。それがどんどん伝わってきます。だから自分も頑張れるんです。レース中でもいっぱい会話ができます。励ましてもらえます。
マラソンにはないトレイルレースのいいところですよね。楽しい!とにかく楽しい!そして嬉しいんです。

強くて速くなりたい一心だけではなく、レースが楽しいからこそ走り甲斐を感じています。練習も頑張れます。 皆が応援してくれます。
トレーニングが生活の中心です。辛い仕事だって今度のレースでみんなに会えると思えば乗り越えられる!
だから仕事で嫌なことがあっても耐えられます。トレランのためなら何だってやれる!それくらい楽しいんです!
走り甲斐ありますよ。みんなのおかげ。何よりもえくんちょさんのおかげです。

おんたけでも、三河高原でも声かけてくれる人いましたよ。その度に(鏑)パラダイス企画の社員として恥じないレースにしようと思います。
今のあたしにとって、走ることが人生!
楽しくて仕方ない!!ありがとうございます!
サイト名の由来は?

NEVER ENDING STORY(ushirogami kinishinai 爆)

もっと山に行きたい、CRYしたくない(笑)、
でも
人見知りだ(爆)、誰と行けばいいの?
一昔前は「IDO」っていう携帯電話を使っていました(笑)
最近は山仲間との出会いもいろいろあるようです。
自分にピットリくる方法で山仲間、見つケティね(笑)

山とけーこ 新春特別号(爆)

価格:990円だけどTAKE FREE
ページ数:6ページ程度に格age(爆)
発行年月日:2008年1月1日

元ネタ:2007年11月15日発売の「山と渓谷12月号」に このサイトが掲載されたのです!